遊び方
いろいろな場所をクリックして、探索を開始しよう!
スマホの諸君には分かりにくいかもしれないが、
このサイトでは思いもかけないトコロでクリックができるのだ。
チャンスを見逃すなかれ!
ズームインしていくと、各地にまつわるお話などを読むことができるぞ!
ズームの方法は、行きたい場所をクリックしていくか、
右側の+-のバーをクリックすることだ。
自分がどこにいるのか分からなくなった時は、
-のバーをクリックしてズームアウトすると、気が休まるかもしれない!
地図をスワイプすると、上下左右に隠れている場所にも移動することができる。
このサイトの世界は3層構造になっている。
右下のこの絵をクリックすることで、レイヤー移動をする事ができるぞ!
何も見つからなかった場所でも、世界を変えると何かが潜んでいるかもしれない。
見逃すなかれ!
探索中、右下のグーグルマップが連動する仕組みになっている。
ハイテクだ!
お話が読める場所にはピンがたっているので、
お休みの日に遊びにでかけるのも楽しいかもしれない。
渋沢の残した3枚の地図は未完成だ。
しかし不思議なことに、気づかぬうちに描き足されている事がある。
新しい場所が増えるのを楽しみに待っておこう!
では幸運を祈る
つくった人いちらん
KOURYOU
クリックスピリット、パープルームHP管理人。
3作目のサイト作品がこのサイト。
-作品提供-
一輪社さん
素晴らしい色使い、みんな尊敬の絵描き。
「蛇体の松」「ソープランド街」「磯見山」を担当。
qpさん
妖しく素敵な形の世界を生み出すイラストレーター。
「千人塚」「二千人塚」担当。
しわしわさん
不思議な湿度の世界。蛇を描いてもらうならこの人。
「吉沼」「蛇塚」「大蛇と大滝」を担当。
福士千裕さん
どんな無茶ぶりでも福士さんなら楽しい世界にしてくれる。
「子好き地蔵」「餓鬼堂」「ダイバ」を担当。
ク渦群さん
激しく渦巻くビビットな空間。強い力を描いてもらいました。
「後ろ見ずの海岸」「たけがら山天狗」「天狗の足跡」を担当。
藤城嘘くん
カオスラウンジ生みの親。キャラクターの世界を描く。
「砂まく狸」「河童の命乞い」「河童の川遊び」を担当。
新関創之介さん
どこか奇妙で虚無的な静物画を描く画家。
「大蛇と血桜」「桜町の線桜」「万本桜プロジェクト」を担当。
後藤拓朗さん
とても繊細な描写で建築物などを描く。
「スーパー堤防」担当。
岸井大輔さん
さすらいの戯曲家。色んな場所を渡り歩いている。
お経「仏説八大龍王経」を提供。
-文章提供-
江尻浩二郎さん
とんでもない量の伝説を知っている小名浜の兄さん。
無理なスケジュールでもたくさんの場所を案内してくれました。
-翻訳・協力-
松本しげるさん
古い言葉遣いの難しい翻訳を大量に訳してくれたアーティスト。
平間貴大さん
新・方法のアーティスト。文字おこしや桟橋の再現など、様々な協力をしてくれました。
高田マルさん・伊藤聖来さん
アーティストの高田マルさんと美学校の中ザワ研の聖来さん。短い時間でたくさんのマウスオーバー翻訳を担当してくれました。
参考文献
- いわき市史
- いわきの寺 1981
- いわきのお宮とお祭り 2009>
- いわきの伝説ノート
- いわきの文化財(増補版)1993
- いわき浜紀行
- 磐城北神谷の話
- 磐城市の歴史:中世まで 1966
- 神谷村誌
- 月刊りぃ~ど 平成21年3月号
- 月刊りぃ~ど 平成21年4月号
- 月刊りぃ~ど 平成21年5月号
- 写真で綴るいわきの伝説
- 写真でつづる実伝・いわきの漁民 1978
- たびとの民話
- 富岡町史 考古・民俗編
- 夏井芳徳-石熊村キツネ裁判-三川タイムス取材ノート
- 福島県史 24 民俗2
- WEBサイト・ブログ 誰か昭和を想わざる色街の昭和史
- WEBサイト・小名浜限定ネオン街で飲む・遊ぶ・働くための情報共有サイトおなすぽ
- WEBサイト・冷泉寺ホームページ
- WEBサイト・LocalWiki いわき 霊人塚
後見ずの海岸
小名浜の三崎公園になっている東手あたりの高台に、昔、庄屋様が住んでいた。
くらしに何一つ不自山はなかったが、一人娘は生まれながらに片手がなかった。
幼い頃は遊び仲間にののしられ、人々から「庄屋の片輸者」と後ろ指をさされ、ついに娘は家の中へ閉じ込もった。
父親は、この娘をとても可愛がってはいたが、娘を不憫に思って、日の経つごとに深く悲しむようになった。
自分の死後、娘はどうなるのだろうと思うと、居ても立ってもいられなくなった父親は、ある朝、「たまにはきれいな着物でも着て海でも眺めて見ないか」と言い聞かせて連れ出した。
娘は岬の断崖から嬉しそうに沖を望んでいたが、かねて覚悟を定めていた父親は、いっきに娘を海中に突き落とし、後ろも見ずに涙をぽろぽろ流しながら家へ帰った。
このことがあってから、ここを後見ずの海岸と呼ぶようになった。